えぬのびー

ニートの (くだらないことを書く) ブログ

傷の舐め合いって重要だよねって話

傷の舐め合いってなんとなく良いイメージが無いと思うんですけど、場合によってはすごく重要というか、大切なことだと思うんですよね。

すごく落ち込んだり、どん底の時って何をやってもダメじゃないですか。

音楽を聞いたり運動したりでリフレッシュ出来ればいいのですが、そうもいかないほど心が閉じきっていると、どんな励ましやアドバイスにも聞く耳持てない。

もうエンヤが隣で歌いだしたとしても無意味。問答無用で関節キメるよね。

そんなもんじゃ俺は癒やされねえぞ、みたいな。エンヤがタップしても許さない。

何がブック・オブ・デイズじゃ!こちとらファッ◯・オブ・デイズじゃ!みたいな。

じゃーそういう時どうすりゃいいのよ

例えば死にたくて死にたくて震える、じゃなかった。

死にたくて死にたくてしょうがない時。

そういう時に、死ぬのは何も解決しない!って他人に言われたらどう思いますか?

そうだよな!死ぬのなんか甘えだ!と思えればいいんです。

でも、「いやいや、俺の中では死ねば全部解決するからw」ってなっちゃうかもしれない。

死ぬ勇気があればなんでも出来る!って言われても、「生きる勇気がないから死ぬんですけど?w」とか思っちゃうかもしれない。

心が閉じてると捻くれちゃって何を言われても躱しちゃう。俺/私の気持ちなんか知らないくせに、ってね。

だからそういう時にまずすることは、自分の気持ちと近い人を探すこと。

LET's傷の舐め合い!ペロペロ!

僕はよく鬱や社会不安障害の人のブログや知恵袋を検索してしまう。

そして自分と同じ心持ちだったり、精神状態だったり、少しでも重なる部分があると自分だけじゃないんだな、と安心する。

アメリカのドラマで同じ境遇の人達が円になって座って自分のエピソードを語っていくセラピーみたいなシーンあるじゃないですか。

あれを一方的に聞いてる感じ。

正直、精神を少しでも保つためのその場しのぎかもしれないし、結局何も解決しないのかもしれない。

でも最初に書いた「どんな励ましやアドバイスにも聞く耳持てない」ってところからはほんの少し脱出できるんです。

しょうがねえな、少しくらいは耳を傾けてやっか、ってなる。

傷の舐め合いをしてメンタルを回復してからやっと他の人のアドバイスが有効になる。

閉じきってる心をほんの少し開けられること、それが傷の舐め合いなんじゃないかな、と僕は思うんです。

傷の舐め合いは応急処置

先ほど傷の舐め合いはその場しのぎかもしれないと書きましたが、実際応急処置みたいなものなんですよね。全部が全部解決するわけじゃない。

這い上がれたらいいけど、再びどん底に落ちるかもしれない。そしたらまた応急処置。

そうしていれば最低、現状維持は出来る。

だめだ、もう死のう、という考えがよぎるところまではギリギリ行かない。

それって重要だと思うんですよね。

僕も最近までは年中死にたい死にたいと思ってたけど、ブログを始めてからあまり思わなくなった気がします。

ブログを始めると他の人のブログを自然と読むようになるんですよ。僕は文章が下手だから、他人のブログを参考にしたり、ネタのヒントなどを探すんです。

僕が見るブログは大体、鬱のニートひきこもりの人のブログです。わざと選んでるわけじゃないけど、自然と検索してる。だからその時に自然と傷の舐め合い(一方的)をして、知らない内に治癒してる。最低限ですけどね。

このブログも傷の舐め合いの対象になれたらいいな

はてなブログって人生において役に立つことやタメになることを書いていらっしゃる人、多いじゃないですか。僕もたまに読むけど、良いこと言うなぁ、と思うと同時にあんなに素晴らしいこと自分には書けないな、とも思う。立場が立場だから人生の指標になることなんか尚更無理。

だから僕は、自分の失敗エピソードや捻くれた心境を書くしかない。そしてそれに共感してくれる人がいたら一番嬉しい気がする。傷の舐め合いの対象になるからね。

共感じゃなくても、「なんだ、下には下がいるじゃないか」と、僕を下に見ることで心の安寧を保てるならそれもまた良し。そういうの気付かない内に誰だってしてることだしね。

 

とにかく、人それぞれ心の精神安定剤を見つけることは重要だと思います。

今回は「傷の舐め合い」でしたが、また何かあったら書きたいと思います。

それでは。

 

あ、エンヤは嫌いじゃないよ。